風に吹かれて
歌手のボブ・ディランさんがノーベル文学賞を受賞しました。いや、受賞は発表され たものの、本当に受賞式へ出席するのだろうかという声もあります。受賞の是非につ いてはもとより、彼の振る舞いなどについて各方面より賛否両論の声が上がります が、私などは、だってディランでしょ?と言いたくなります。果たして彼は12月の 授賞式に本当に現れるのでしょうか。
9月にFさんの訃報が届き、旧知の数名にメール連絡をしていました。インターネッ トが盛んになる前、パソコン通信の時代に武道愛好者のOFF会などで拳足を交えた人 たちですが、その中に以前、このコーナーにも登場したニューヨーク在住のKさんがいました。ほどなく返信があり「今、ホテルの前で北朝鮮の外務大臣の張り番をしています。帰宅したら返信します」とのこと。(う~むすごい世界にいるんだなあ)。 以前、NHKのアメリカ発のテレビを観ていて、製作者のディレクターのところにKさ んの名前を発見し、たいそう驚いたことがありました。 そんなKさんが、その当時何らかの苦境にあったのでしょう、ネット上でディランの “Blowin’ in the wind”の歌詞を引き合いに出し、当時あったあれこれについ て、How many roads must a man walk down before you call him a man”(どれだけたくさんの道を歩き回れば人は一人前だと呼ばれるようになるのだろ う?)と、つぶやいていたのを思い出します。あれから15年ほどの歳月が過ぎました が、その後送られてきたメールには、“The answer is blowin’ in the wind”とい うのは、答えなんてつかまえることは出来ないよという意味なのでしょう、と書かれ ており、(自分は)永遠に一人前になどなれそうもありません、と結んでいます。
若いころは、イヤな人であっても私の目には、年長者たちはおしなべてそれなりに完成 された人間のように映ったものです。目の前に現れた課題を大して骨を折ることもなく 解決する能力を誰もが備えているように見えました。彼らの年齢をいつのまにかとうに超えてしまっている自分を改めて振り返ってみると・・・。 それでも、当時立派に見えた大人たちも、きっと不安の中で生きていて、同じように 悩んでいたんだろうな、と今では思うようになっています。なるようになる。なるようにしかならない。そんな開き直りも、精神を病んだりせずに生きていく上では必要 なんだろうな、と。
それにしても、ディラン氏。授賞式には出席することになったようですが、出席しなければ前代未聞。「大人」でないディラン氏を期待するのは、私だけでしょうか。 最高の権威に背を向けてほしい。そう思ってしまう私も、Kさんほどの役者ではありませんが、永遠に一人前になどなれそうもないのかもしれません。