再見!老師

某政党新代表の二重国籍問題が物議をかもしました。国政政党の党首としては色々と問題があるようですが、民間人の場合であればさほど問題はないと思うのですが。

神戸出身のFさん、実家が中華料理店をしていた為、幼いころに客としてよく来ていた台湾出身の中国武術の宗家の老師と知り合い、その下で修業を始めました。小学生 の頃には毎年夏休みなどはほとんど台湾で過ごし、やがて台湾国籍も取得することになります。台湾に数多くいる兄弟子たちとの軋轢を乗り越え、若くして八卦掌という門派の宗家を継承しました。そんなFさんの若いころのエピソードを一つ。

当時まだ20代だったFさんが今で言うところの広域ナントカ団の二次団体事務所 前を通りかかりました。事務所前を掃除していた若い衆がFさんと目が合い、からかうように「わん」と言いました。普通の人なら知らぬ振りで通り過ぎるところでしょうが、いつもイタズラ心いっぱいのFさん、「ニャア」と返しました。怒った 組員と乱闘になると、たちまち組事務所から数人の組員・・もとい、若い人たちが出 てきて袋叩きに遭いました。騒ぎを聞きつけたそこのエライ人が出てきて、「○○軒の 兄いちゃんやないか。どないしたんや」。今あったことを話すとそのエライ人、若い衆 をボコボコに殴り倒し、顔を踏みつけ散々痛めつけたところでFさんに向き直り、 「にいちゃん、これでこらえたってくれるか」

後日、事務所前で先日の若い衆が掃除をしているところに、またFさんが通りかか りまたもや目が合いました。懲りるという言葉を知らないFさん、イタズラ心がま たまた頭をもたげ、若い衆に向かって今度は「パオーン!」。コケにされた若い衆、 今度は困ったような表情で曰く「にいちゃん、たのむわ。堪忍してくれや」。

若干出来過ぎていてホンマかいなと思わなくもありませんが、あの性格ならそれに近いことはきっとあったんだろうなと思っています。このようなエピソードが山ほど あるイケイケで同時にお茶目なFさん。そんなFさんの訃報が先月上旬に届きまし た。享年51歳。不慮の事故死でした。人間、一寸先はなんとやら。死ぬことなど想 像すらできなかった人がもうこの世にいないという現実をいまだに受け止めること ができないでいます。いつ死んでも悔いのない生き方、自分はできているだろうか。 親しかった人の訃報に接するたびに自分に問うてしまいますが、答えはいつも、否 です。完全燃焼の生き方、しなくちゃなあ・・。Fさんの死を悼みつつ。合掌。

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