夜明け前の風景

どうもモチベーションが上がらない日々の中、今日こそはジョギングに、と外へ出ました。新聞受けにはビニール袋入りの朝刊が入っており路面も濡れているようです。今は、ビニール袋入りか。深夜、雨が降ったんだな・・・。

その昔学生時代のこと、ファミリーレストランでの夜のアルバイトに加え、朝刊の配達をはじめました。午前3時半、眠い目をこすりつつ、その日も主婦の3倍、中・高校生の2倍の量の朝刊を自転車の前後に積んで販売店を出ました。丁度今頃の時期のことでした。その日は広告の量が特に多く重い為バランスが悪い上に、更に激しい雨が降ってきました。なんだかイヤな予感がしていましたが、数十軒分を配ったところでいつものようにY売新聞の販売店前に自転車を停めました。「おはようございます!」「おはよう。ご苦労さん」いつもの挨拶と共に新聞を販売店の人に手渡し、戻ろうとすると風に煽られたのかバランスを崩した自転車がスローモーションを見るかのようにゆっくり倒れていくのが目に入りました。派手な音が響き渡り残りまだ250部以上もある新聞をでき始めた水たまりにぶちまけてしまいました。(やってしもたぁ・・・)眠気もふっとび、半泣きになりながら自転車を起こし服や手で水を拭いながら再度自転車に積み直す。すると、販売店から出てきたおじさんが、一緒に新聞を拾って荷台に乗せるのを手伝ってくれました。「大丈夫。雨の日に(新聞が)水に濡れとってもお客さんは怒れへんで」

「長野君、昨日○○さんのところ、入れ忘れへんかった?」「いえ、絶対あそこは忘れてません!」(忘れるところは大体決まっているのです(^^;)「う~ん、やっぱり」当時は(今も?)、新聞の勧誘合戦は激しく、配達員が入れたものを、他の新聞店の者が盗り、勧誘に訪問するということが頻繁に行われていました。ひと月間、不配、遅配などなく務めると5,000円の手当がつくのですが、一年弱の間にその手当を頂いたことは残念ながら一度もありませんでした。ゼニカネよりも自分が入れ忘れたと思われるのが悔しくて仕方ありませんでした。「誰が盗りますの」「××新聞のおっさんや」毎朝すれ違うあのおっさんか(–メ)。また、敵は他店の人間だけではありません。理髪店に入れたスポーツ新聞が入っていなかったと指摘された時には、「あの店の向かいの凸凹病院の前で待ってるのがお るやろ、あれが盗っていきよるから、シャッターの下から入れる時は、奥まで突っ込んどいてや」毎朝4時半頃にはもうその病院の前では数人の、主に年寄連中が談笑していました。目で、盗るなよと牽制しながら、まったくどこが病人やねん・・と。

繁華街ではありませんが、朝まで営業のお好み焼き店に「おはようございます!」と入って行く時には、酔っ払いにからまれたり励まされたりと少しスリリングでもありました。意味不明ながら、1000円の祝儀(?)をもらったこともありましたっけ。また、連休でもないのに入れた新聞が抜き取られもせず郵便受けにたまり、数日経った頃、マジックで「金返せ!!」と書き殴られた紙が何枚も文化住宅の玄関に張られていました。あの家の人、どうなったんだろうか・・・。

殺気立った朝の日々から30年ほどの時を経た2014年夏。大和川堤防をジョギングしていると、そこにはいつもの風景が。朝練へと急ぐ日焼けした高校生(がんばれよ)、朝日に向かって身動きひとつせず掌を合わせる老婦人(一体何を祈っているのだろう)、横一列になりながら大声で話しながら練り歩く大阪のおばちゃん軍団(コラコラ、通られへんがな(^^;)。大阪地方、それぞれのドラマが今日もこうしてはじまりました。今日も皆さまが良いドラマを演出できますように。